命の火を何に使うか?



今日は自動車免許の講習会で
ビデオを見る機会があった。

そのビデオに映っていたのは、
小学1年生のお子さんを交通事故で亡くした
母親だった。

淡々と語ってはいるものの、
愛するお子さんを亡くした悲しみが
にじみ出ているように感じた。


私の子どもも同じくらいの年齢なので、
自分の子どもに置き換えて想像したら
なおさら悲しく感じた。


あんなに笑顔で甘えてきてくれる子どもが、
「おとうさん!」と信頼を寄せてくれる子どもが、
もしもいきなり未来を奪われてしまったらどうしよう、と。



私達の命はロウソクの火に例えられる。

ロウソクの火が燃えている間は、
私達は錯覚することが多い。

この命の火は永遠に燃えるのだ、と。


でも、ロウソクの火はいつか必ず消える。

どれだけ火が輝いていたとしても、
どれだけ消えることを拒んだとしても、
かならず、いつか、消える。


その事実を直視したときに
大切な問いが一つある。
「自分の命の火を何に使うのか?」だ。


自分の命の火を何に使ったら、
自分は最大限の喜びを得られるのか?
後悔せずにいられるのか?


私の場合、
子どもが「自分に価値がある」と感じられる未来を
創造することだった。


国立青少年教育振興機構の2017年の調査によると、

「私は価値のある人間だと思う」に
「そうだ」と答えた高校生はたったの9.6%、
つまり10人に1人以下なのだ。

10人中9人が、自分に価値があると
自信を持って答えられない。


私は、私の愛する子どもたちには
いつも自分の価値を信じていてほしい。


この気持ちを自己肯定感とも呼ぶのだが、
自己肯定感の高さや低さは、どちらも
人から人へと伝染する。
(特に、親からその子どもへ)


自己肯定感の高い人は、
自分の価値を感じているからこそ、
人の価値や人の可能性を信じることができるし、
尊重できる。


自己肯定感の低い人は、
(潜在的にでも)自分の価値を低く見ているので、
自分自身や周りの人を乱暴に扱う。
顕在意識で無理やり良い人を目指しても、
ストレスが溜まってきたときにボロが出る。


私は、私の子どもが歳を重ねていったときに、
周りに自己肯定感が高い人がたくさん居てほしいのだ。


人がお互いに思いやって、
人がお互いに愛を示して、
人と人との間を循環する幸せの総量が
どんどん増えていくような、そんな未来を残したい。


めちゃめちゃエゴが全開かもしれない、
仕事を通じて人を幸せにしたい目的は、
自分や自分の家族が幸せになることなのだから。


でも人の幸せと自分の家族の幸せの
コネクションが見えるからこそ、
仕事を頑張れるというのも大いにある。


あなたは、あなたの命の火を何に使いますか?

もしこの質問への答えが、
あなたが心から納得できるものであれば、
それ以上に幸せなことは無いと思います。