「ああ、もったいないな。 そこまで長い時間をかける必要ないのに…。」
それが私の感じた印象でした。
何が起きたのかと言うと、ある日昔の友達からメッセージを貰ったんです。
そこに書いてあったのはこのような内容でした。
・ 直也くんの仕事はとても大切なことだと思う。
・ 自分も「べき思考」を持っている。
・ それを手放すのには一生がかかると思う。
頻繁にやり取りのあった友達ではないので、
そのメッセージを貰った時はびっくりしたのと
同時にすごく嬉しかったです。
力になれるんじゃないかと思った私は、
一度話してみようよ!と提案したものの、
「いや、自分のペースで向き合っていきたいから。」ということで
まもなくそのやり取りは終わってしまいました。
べき思考はいわば「こうじゃないといけない。こうあるべきだ。」と
知らずしらずの内に自分にプレッシャーをかけてしまう
考え方です。
自分は自分の思い通りに動いている!と思っていても、
実は行動の動機が義務感だったり強迫観念だったりします。
べき思考ベースの行動は、一定量行動ができるとしても、
その後に残るのはしんどさやストレスです。
例えば、「良い父親でいるべきだ」というべき思考があり、
なおかつ良い父親の定義が働いてお金を稼ぐことだったりするとどうなるか?
お金は確かに稼ぐんだけどもそこに喜びはなく、
なおかつ家事育児のことは全てパートナーに丸投げしてしまうようなことになります。
「俺は十分に良い父親をやっている。これ以上何が望みなんだ?」
となってしまうわけです。
上に書いたのは一つの例え話ですが、
この状態を解消するのにもし一生をかけるとしたら何が起きると思いますか?
その間、夫婦関係は円満でいられるでしょうか。
子供はいつもイライラした父親に怯えながら、のびのびと成長できるでしょうか?
たしかに、問題を自分のペースで解決したいというのは大切なことだと思います。
しかし、もし「べき思考」の問題を解決する過程で、
そのハードルを上げてしまっていたら、
それは時間がもったいないと感じます。
一生をかけて解決しようとするなら、
その間に何度も自分自身や家族を痛めつけることになるでしょう。
私は少なくとも15年近くは自分の中に存在していたべき思考を、
己成という方法を通じて3ヶ月で解決することができました。
そしてその方法には再現性があります。
その一歩を踏み出すことは怖いかもしれません。
でも、その一歩を踏み出すことで、あなた自身とあなたの周りの人が
幸せになれるチャンスをつかむことができる。
この投稿を読んでくださる方々が、
自分のべき思考に囚われることなく、
自由に生きることを選んでくれることを心から願っています。
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